《蝉が一匹、力無くジーと啼いた》

そもそも友だちの雅美さんから「気味の悪い手紙が父宛に届いた」と相談されたのがきっかけだったんです。雅美さんと手紙に書かれた所へ行くと、なんと頭が真っ黒焦げの死体を発見。更に、父静馬氏が雅美さんに「落とし前をつける」とメールに残し行方不明に。ここから私たちは静馬氏の行方を捜すことになります。その中で、26年前に起きた祖父重蔵氏の愛人“紀子”にまつわる事件と深い関わりがあることを突き止めます。26年前に一体何が?

14 紀子①(逗子へ)

 逗子という所は神奈川県の三浦半島北西部にあって相模湾に面し湘南エリアの一部とされることもあります。JR横須賀線京浜急行が東京や横浜を結んでいて、鎌倉市葉山町横須賀市横浜市に囲まれた、首都圏のベッドタウンです。海水浴場もあります。三浦丘陵の西側にあたるので山がちな地形ではありますが特に高い山はなく鎌倉市葉山町とは尾根筋で分かれていて山上にも宅地が造成されています。地名については、そもそも逗子駅南側一帯の町丁のものでJR横須賀線の駅名に採用され、逗子村を含む7村が合併して町名に採用されました。地名の由来は三浦厨子城、延命寺延命地蔵尊を安置する厨子、役人である図師の住まいがあった、交通の要衝『辻』が転訛したなど、その地名の由来には諸説あるとされはっきりしていません。

 そしてこの逗子という土地は、この事件記録の冒頭に記した通り、朝日奈不動産創業者の重蔵氏が生まれ育った土地であり、人生の転換期となったところです。重蔵氏は自分の農地を宅地に転用して成功すると、次々に周辺にも手を伸ばし、会社勤めの時に培ってきた人脈を使い「あそこの重蔵が言うのなら任せよう」と多くの地主から信託され、一九六五年に大規模な高級住宅地も造成して町の発展とともに会社もどんどん成長していきました。そのような経緯で会社が管理する地所は数多くあったので、それらのうち一つを妾に与えて住まわせることは経営者にとっていとも容易かったのでしょう。

 私たちは、朝九時に品川駅から京浜急行に乗り新逗子駅へ向かいました。新逗子駅に着いたのは九時五十八分。朝比奈不動産逗子支店長の寺岡義昭氏はすでに駅へ来ており、社長秘書である雅美さんが突然やって来るというので明らかに緊張した面持ちで待っていました。電話では社長からの連絡はないとのことでした。

 寺岡さんは見たところ五十歳半ば程。着慣れたダブルスーツが少しくたびれ加減で、きちっと締めたネクタイから出る猪首は窮屈そう。見るからに首回りの寸法が合っていないワイシャツから余計なお肉がはみ出ていて、「普段はクールビズを口実に締めていないが今日は特別なのでネクタイをしてきました」と言わんばかりでした。“ハンプティダンプティ”を連想させるでっぷりお腹、オールバックになでつけた薄い髪、ハンカチで拭っても拭っても噴き出る脂汗(この脂汗は社長秘書という肩書きが掻かせているのではなく明らかに“朝比奈創業家の人間”という言葉の響きが掻かせているに違いありません)。あまり近寄りたくない風体ではありましたが、とはいえ、人当たりの良い印象を与える優しそうな目はいかにも不動産仲介の営業マンといった風情と風格を併せ持っていました。

 寺岡さんは私たちの荷物を代わりに持ちましょうと言ってくれ、
「初めてお目にかかります、寺岡です。えらい急なご連絡だったもので、、、」
「おつかれさまです、朝比奈です。で、電話でお話しした件ですが」
「はい、それはもう。壁に耳ありと言いますのでね、ここから少し行くとホテルがございますのでね、ご案内いたしますのでね」

 寺岡支店長に案内され、小さいけれども趣味の良いホテルの一室に通されました。このホテルは朝日奈不動産が開発した会員制のもので、社員が福利厚生の一環として利用できるようになっていますが、首都圏から近く海にも近いため人気が高くていつも満杯状態です。今日は平日だし午前中ということもあって朝日奈不動産の社員はいないとのことでした。

 部屋に入ると、寺岡支店長はボウイに飲み物を持って来るように指示して、
「私は、それはもう、現地社員として三十五年前に逗子支店へ入社し、以来ずっとここで働いて来ましたので、どんなことでもお聞きください」
「すると、寺岡さんは、ウチが管理している地所のことなら何でもご存知なのですね」
「はい、それはもう、会長の頃から可愛がってくださいましたので」
「会長? 寺岡さんは祖父をご存知なのですか」
「はい、それはもう、私を採用してくださったのは会長ですから」
「そうでしたか、私は祖父のことを詳しく知らないんですよね」
「ああ、そうでしょう、そうでしょう、、、それはもう、会長は、私が言うのも何ですが、先見の明をお持ちの方でした。この辺りが必ずや東京や横浜のベッドタウンになると確証をお持ちになって一気呵成に宅地開発されまして。結果はご存知の通りですよ」
「先見の明があったのは仕事だけですか」
「え?」
 雅美さんの質問に、寺岡支店長は少し虚をつかれしばらく雅美さんの出方を窺う様子で見ていましたが、突然ワッハッハとでっぷりお腹を抱えて、
「ああ、それはもう、朝比奈様の仰るのんは、コッチのことですか」
 と、左の小指を一本立てニタッと歯を見せました。私たちが曖昧な表情でいると、
「はいはい、それはもう、コッチのほうも明がございましたよ」
「へえ、どんな」
「え?はあ、それはもう、そうですね。。。でも、今日はその件で来られたのですか」
 私たちが黙っていると、
「まあ、いいでしょう、いいでしょう、それはもう、昔のことですしねえ。時効です時効。ワッハッハ」
「ワッハッハ」と雅美さんが寺岡さんの真似をして調子を合わせました。
「ワッハッハ。会長は昔、それはもう、新橋の料亭で、ある一人の女性と出会いましてね」
「新橋の料亭・・・」
「聞いた話ですよ、ええ。名前は何と言ったかな、確か紀子さんとか。偉い美人で」
「美人ですか」
「はあ、会長は週末になるとその人とちょくちょく会っておいでになったっちゅう話です」
「へえ、東京でですか?」
「はあ、そうですねえ。でえ、こっちへ、いつ頃だったかな、引っ越しておいでになったんは。あれはもう、平成元年か。天皇崩御されましてねえ、昭和の、その年だったと思います」
「それって、祖父の亡くなる一年前ですね」
「ああ、そうだそうだ、そうなりますな。だから、それはもう、えらい大変でしたねえ、その後が」
「えらい大変?」
「はい、それはもう、大変も何も、紀子さんが、、、ん?あの、ご存知ないんですか」
「私がですか?何をですか?」
「何をって、それはもう、その紀子って人、初台御殿で焼身自殺でしょ?」
「何ですって?!」
焼身自殺?!」
 私たちは口々に驚いて反応してしまいました。特に雅美さんはひどく動揺していました。妾が今になってガタガタ言ってきているという仮説が目の前で崩れてきました。
「あれ、ご存知なかったですか、あれ、こりゃ、余計なこと喋っちゃ・・・」
「あ、いえいえ、いいんです、教えてくれてありがとうございます」
「いやあ、これはもう、私としたことが余計なことをペラペラと。私が言ったっちゅうことはなにぶん、あの、、、」
「わかっています、どうぞ続けてください」
「ええ?続けるって。。。はあ、そうですか、ああ、もう、ここまで言ったらしゃあない、それはもう、私の知ってること、お話しまひょ。でも、くれぐれも、、、お願いできますか」
「承知しましたから続けてください」
「わかりました。それはこうです。会長とその、紀子さんとの間には子がありました。こっちへは母と子でお出でになりました。私は御先代から直々に、住まいなどの準備をしておくように言われまして、そのときにお子さんがいることを知らされました。一人なのと二人なのとでは間取りが違ってきますからね。それにいくらなんでも、妾、あ、失礼、そのような言い方は良くないですね、いくらなんでも、御先代だって泊って行かれることもあるだろうから粗末な物件は用意できません。それなりに立派な物件を用意しました。もちろん、家具だの生活の必需品だのも揃えました。お迎えにも行きました」

 沈黙が流れました。
 雅美さんが目をつぶってじっと聞いていました。
 寺岡さんはばつの悪い表情でふうふうため息をつき一生懸命脂汗を拭きうつむき加減でじっとしていました。
 私はそれまで黙って横で聞いていましたが、
「いくつかお聞きしたいのですがよろしいですか」
 と尋ねてみました。
「はあ、それはもう。何でしょう。。。」
「お子さんがあったと仰いましたが、どのような?」
「はあ、どのようなって、それはもう、五歳か六歳か、そのくらいで、利発な坊ちゃんでしたよ。端午の節句には御先代が立派な兜をプレゼントされて、いたく喜んでぇ」
「男の子なんですか、その坊ちゃんは今もこちらに?」
「いえいえ、それはもう、子ども一人で生きてくのんは土台無理ですわ。紀子さんの実家の人が引き取りに来ましたわ」
「実家というのは、どちらですか」
「それはもう、そこまでは私も承知していません。申し訳ありません。近所の人のほうが詳しいんじゃないでしょうか。なんなら近所の人に聞いてみまひょか」
「いえ、そこまでは結構です、ありがとうございます」
 私は、最後にどうしても気になって聞いておきたいことがありました。
「最後に、なぜその紀子って人は本家まで行って焼身自殺なんかを?」
「それは。。。」
「それは?」
「それはもう、いやいや、それだけは勘弁してください。私の口からはもう。。。」
 それまで人当たりの良さそうな眼が、きつく豹変したのを私は見逃しませんでした。とはいえ、この人から一気に全部を喋らせるには、あまりに早急過ぎるのかもしれません。寺岡さんの顔には喋り過ぎたという反省の色がかなり色濃く浮き出ていて、気持ちにブレーキをかけているようでした。私は雅美さんに目配せし、
「支店長、今日はどうもありがとうございました。もし何か思い出されることが出てきたら、ご連絡くださいますか」
 雅美さんが自分の名刺を寺岡支店長に渡しました。
「これからどうなさいます?」
 と寺岡さんにそう聞かれて雅美さんは、思い出したように、
「その人が住んでいた所へ行ってみたいと思います。住所、おわかりになりますか」
「はあ、それはもう、では、車のナビをセットして差し上げましょう」
 寺岡支店長は車のナビに目的地をセットし、自分は駅からバスで支店に戻ると言うので、私たちはホテルから一旦駅へ向かいそこで支店長と別れました。