《蝉が一匹、力無くジーと啼いた》

そもそも友だちの雅美さんから「気味の悪い手紙が父宛に届いた」と相談されたのがきっかけだったんです。雅美さんと手紙に書かれた所へ行くと、なんと頭が真っ黒焦げの死体を発見。更に、父静馬氏が雅美さんに「落とし前をつける」とメールに残し行方不明に。ここから私たちは静馬氏の行方を捜すことになります。その中で、26年前に起きた祖父重蔵氏の愛人“紀子”にまつわる事件と深い関わりがあることを突き止めます。26年前に一体何が?

10 初台御殿

 時計の針が午前零時を跨ぎ、重力の作用で真っ逆様に下降していくかのように時間がどんどん過ぎていきました。私たちはいつまで警察署にいなければならないのだろう、明日仕事を休まなければならないのだろうかと心配しましたが、程なくして雅美さんと私は捜査を妨害する可能性が低いと判断されて一旦返されました。ただ、いつでも連絡が取れていつでも捜査に協力することを約束させられました。要するに警察の監視下にいろということです。「クロではないがシロでもないグレイだから大人しくしていろ」と、まあ平たく言えばそう言われたようなものなので、雅美さんはとりあえずは家に帰ることができ仕事にも出かけられるから良いが、「大人しくしていろ」の部分で今一つ合点のいかない顔つきをしていました。私はやっと解放されたので、ほっと胸をなでおろしました。そんな私を見て雅美さんは、
「ウチに来てとりあえずシャワーを浴びませんか」と提案してくれました。
「はぁ、そうですね、どうしよう、どうしよう」
「はい、こっちこっち」
 どうにも優柔不断な私を雅美さんは引っ張って行きました。

 タクシーで初台御殿に着いたのは夜中の一時半ごろでした。初台御殿は元々重蔵氏が使用していた母屋を中心に静馬氏の離れが廊下でつながっていますが、雅美さんが生まれ思春期を迎えると新たに雅美さん用の離れもこれまた母屋と廊下続きでつながる形で建て増しされました。つまり平屋の立派な母屋の両翼にこれまた立派な離れがドーンドーンと建っているわけです。静馬氏の離れ同様雅美さんの離れも水回り一式と玄関がついていて独立して生活する機能はついています。部屋は居間、寝室、客室、独立クローゼットと、まあ贅沢です。ただ雅美さんの離れへ行くには正門からだと遠回りになるのでタクシーは勝手口の前につけました。勝手口といっても堂々とした門を構えていて車の出し入れも容易にできる本格的な玄関として立派に機能しています。私たちはそのまま勝手口から入り、雅美さんがお手伝いの郁さんを呼び、軽くシャワーを浴びました。郁さんは、寝しなを起こされ仰天しながらも、私たちのために夜食を用意してくれました。そして、
「てっきり旦那様とご一緒なのだとばかり思っておりましたんよ」
「郁さん、どうして?」
 郁さんは、フルネームを山城郁子といいます。初台御殿のお手伝いさんの一人で雅美さん担当です。雅美さんが物心ついた頃からずっと身の回りを世話している古株です。歳は五十代後半といった感じでしょうか、身長は百五十五センチメートル前後で、なかなか膨よかな体型、髪はショートで軽くパーマをあて、いつも真っ白な割烹着を着ていて、度の強いフレームレスの眼鏡をかけています。極度の近眼らしく、「これでも薄型にしてもらってるんですよ」とはいうものの重そうなレンズ越しに見ると両目が金魚の出目金みたいに見えて滑稽に見えます。ただ、雅美さん担当として、見るところはきっちりと見ていて、
「今まで何をしていらっしゃったんですか。お帰りにならないので気を揉みましたんよ」
 と、私に鋭い一瞥をくれました。私がしどろもどろになっていると雅美さんは、
「うん、ちょっとね、いっしょにいたんですよ」
「さようですか、あんまり雅美さんに振り回されないでくださいね」
 と、まだ猜疑の目で見つめました。つまりこの言葉の裏には、(ウチの可愛い雅美様と一晩中どこをほっつき歩いていたんだ、まったく。関わりあってくれるな)と言う意味が隠れている訳です。私はまたしどろもどろになって、
「はあ、私は一向に、、、」
 と言いかけたとき、雅美さんは攻撃の的がこれ以上私に続かないよう、
「で? お父さんは?」
 と話題を変えてくれました。
「はあ、旦那様もまだお帰りにはなりませんで」
「へえ、そう」
 一瞬、雅美さんの目に緊張が走りました。しかしそれも本当に一瞬のことで郁さんが察知したかどうか定かではありませんでした。
「『へえ、そう』って。雅美さんは旦那様の秘書でしょに?」
「二十四時間秘書してらんないから。もうこの話はやめ。あ、もうこんな時間。郁さん、ごちそうさま」

 雅美さんが私に泊まっていけというのでお言葉に甘え、翌日一緒に会社へ向かいました。
 初台御殿から初台駅へ行く道すがら雅美さんはぼそりと、
「しばらく、ウチに泊っていってくれませんか」  
 と、言ってきました。
「え、私がですか」
「嫌ですか」
「いえいえ、嫌ということはないですけれども」
「お願いします。何かどうも不安なので」
「はあ、、、」
 こうして私は数日間という条件付きで初台御殿に泊ることとなります。