《蝉が一匹、力無くジーと啼いた》

そもそも友だちの雅美さんから「気味の悪い手紙が父宛に届いた」と相談されたのがきっかけだったんです。雅美さんと手紙に書かれた所へ行くと、なんと頭が真っ黒焦げの死体を発見。更に、父静馬氏が雅美さんに「落とし前をつける」とメールに残し行方不明に。ここから私たちは静馬氏の行方を捜すことになります。その中で、26年前に起きた祖父重蔵氏の愛人“紀子”にまつわる事件と深い関わりがあることを突き止めます。26年前に一体何が?

05 朝比奈重蔵

 朝比奈家は、元を辿ると浅く一九六〇年代にさかのぼります。この頃、神奈川県逗子市に山嵜重蔵という農家の息子がいました。農家といっても専業ではなく父の山嵜佐吉はほうれん草を主とする近郊野菜の栽培で収入を得、息子の重蔵は中学を卒業すると同時に担任の先生の紹介で地元の不動産会社へ就職し給与収入を得るという兼業農家でした。佐吉は重蔵に農家を継がせる意思はなかったようで、重蔵が中学三年に上がる時、「これからの日本、農業は先細りするだけだからお前は好きなことを見つけてそれに一生懸命情熱を傾けなさい」と言われたそうです。そう言われてもまだ中学三年、歳にして十五歳になるかならないかの年齢でそうそう自分の生きる道を見定められる訳はなく、取り敢えず学校の勧める地元の不動産会社へ就職しました。実はこれが人生最大の転機となる訳ですが、重蔵氏はその会社で、不動産仲介、土地開発、土地信託などの知識を実務を通じて増やしていきます。中学しか出ていませんが勉強が嫌だったり出来なかった訳ではなく、仕事が終わると宅地建物取引士の勉強をし受験資格を満たすとすぐに合格します。当時、東京を中心とした都市部とその近県では農業を継がない家が格段に増えていきました。農家を継がないと言うことは農地をどうするかという問題につながります。しかし、宅地に転用するのか、するとして売るのか運用するのか、運用って言ってもどうすればよいのか、地主にはその問題解決をするノウハウがありませんでした。追い討ちをかけたのが土地の固定資産税でした。経済発展とともに土地の価格が急騰して本百姓は多額の税金を納めなければなりませんでした。

 重蔵氏は二十七歳の時、父佐吉を若くして亡くします。享年五十五。後を追うように母みよが二年後に亡くなります。こちらも享年五十五。これにより、代々山嵜の家は本百姓であったため、他の地主同様、神奈川県郊外とはいえ莫大な税が跡取りの重蔵氏に襲いかかってきました。この時、勤めていた朝日奈不動産社長朝日奈紀行氏から適切な助言を得られていなかったら、おそらく重蔵氏は今の地位を築いていなかった、そればかりでなく、土地も家も放棄し夜逃げ同然で逗子から姿を消すしかなかったといいます。重蔵氏は紀行社長の助言通り、すべての農地を宅地に転用してアパートを建てその家賃収入を得る、いわば土地活用を行います。すると横浜や横須賀から程よい通勤圏であったために入居希望者が後を絶たず、大当たりします。彼はそれまで父が得ていた農業収入の二倍以上を叩き出すことになりました。しかも、当座として支払わなければならなかった税金や土地活用の資金などはすべて紀行社長が援助しました。重蔵氏はこの方法で、数ある地主の相談相手になっていきました。地主たちは、重蔵の家も同じ問題を抱えていたわけだし、知らない顔でもない。先祖代々受け継いできたこの大切な土地をどうするか相談に乗ってもらうには重蔵はうってつけだと思ったわけです。こうして重蔵は二十代の若さで本百姓や名主、はては地元議員とも人脈を構築していきました。同時に、紀行社長の存在は重蔵氏にとって絶大なものとなり、ことあるごとに重蔵氏は社長の助言や指導を受け続けていきます。

 さて、そうまでして何故紀行氏は重蔵氏に様々な支援を行ったのでしょうか。紀行社長は三十歳の時、美子さんという女性と結婚しています。この時美子さんは二十歳。北海道から横浜へ出てきた美子さんはバーで働いていました。そこへたまたま紀行氏が来店し、彼はその後猛烈に彼女にアプローチします。美子さんとしては最初はうんと歳の離れたお客様だし鬱陶しいなと思っていましたが、執拗な紀行氏のアプローチが奏功しいつしか美子さんは紀行氏を思うようになり二人は結婚します。しかし五年後に破局し美子さんは実家のある北海道へ帰っていったそうです。その後紀行氏は親戚からお見合いの話を持ちかけられますが気持ちが進まずついつい一人やもめを続けていました。社長は「もうこの歳だし今更奥さんをもらってもしようがない」と周囲には言っていたそうです。しかし、会社の社員の間ではある噂が広がってもいました。噂の種は重蔵少年でした。重蔵少年は誰もが認める美男子だったのです。

 破局を迎えるまでの五年間、夜は双方とも燃え上がるような熱情で互いに互いを愛しました。紀行氏のけたたましく吼える熱情が美子さんの脳髄までをも刺激して狂おしくさせ美子さんは何回も果てました。紀行氏も美子さんの放出するかぐわしさを嗅ぐたびにけたたましくなりました。両の房は柔らかくその突端は吸うたびに固くなりもっともっとと求めてきました。真っ白な肌を手全体でさすると美子さんはそこを追うように鳥肌を立てて身をくねらせました。舌を這わせると臍のあたりで美子さんは決まってのけぞりました。更に下へ這わせ足の付け根を愛撫すると声にならない声をあげました。最も敏感な部分をよけて太ももからふくらはぎを丹念に頬ずりすると、視線の先に美子さんの足指がピクピク震えている。それを確認してから紀行氏は思いっきり指を咥えるのでした。

 最初は親指。指の腹を舌全体でゆっくりこねてから爪の間に舌先を入れて左右に動かすと一日に溜まった垢が唾液と混合してえもいわれぬ匂いを放出しました。指と指の間も同様でした。しかしここは美子さんがもっとも敏感に反応する場所でもありました。美子さんは絶叫に近い声になってたまらなくなり求めてきました。それでも紀行氏は充分に両足指を唾液で湿らせるのをやめません。

 一刻も早く欲しがっている美子さんの放心したような目を確認したのち、ようやく紀行氏は太ももの付け根へ顔を移して鼻の先で茂みの匂いを嗅ぐと美子さんは全身を痙攣させ「ああ」と言いながら大抵漏らしてしまいました。紀行氏は体温に近いその液体と粘着質な液体が入り混じったものを顔全体で受け止め舌を挿れて声を出し震わせました。振動を受けた美子さんはこれ以上堪え切れないのでさらに漏らしてしまいました。紀行氏の「ああ、こんなにお漏らしして、イケナイ子だ」と言うのが合図でした。

 元の位置に戻って体を重ね覆い被さるように入ってきました。美子さんは思うのでした。昨夜より今夜のほうが熱情的で、今朝より今のほうが激しい。私はこの人にこの上なく愛されている。美子さんは紀行氏を体全体で感じ、美しく身をくねらせ、歓喜の声をあげ、紀行氏を受け入れ続けるのでした。しかし、そんな日常をぶち壊したのは、誰でもない重蔵でした。美子さんは直感でそれを察知しました。重蔵少年が朝日奈不動産へ就職してから夫がおかしいんだと。

 紀行氏は、重蔵少年が入社して会社の雰囲気が明るくなったと感じていました。紀行氏は学校からの推薦状もあることだし両親は農家とはいえ本百姓であるから土地持ちで信用がある。せめて高校くらいは出ておいてほしかったとは思いましたが、人一人雇うくらいの余裕はあるし、断る大した理由もないため、紀行氏は彼の就職を許しました。誰もが重蔵少年に仕事のいろはを丁寧に教え、重蔵少年も不動産に関する様々な知識や見識を驚くほどの速さで身につけていきました。性格も素直で地主に好かれるのではないかと思い、ある時、紀行氏は逗子で一番の地主を重蔵少年に紹介しようと、重蔵を助手席に乗せ車で移動していました。途中、赤信号で車を止めていた時、重蔵が足元のカバンの資料を取ろうと前かがみになりました。何気なくそれを見ていた紀行氏の眼に重蔵の半袖シャツの間から覗く彼の乳首がチラッと飛び込んできました。その瞬間、紀行氏は自分が勃起していくことに気づいてしまいました。不覚にも二十歳に満たぬ少年のそれを見ただけで。改めて見返すと、胸板も厚く、筋肉も適度な盛り上がりを見せ、日焼けした跡が眩しく、紀行氏の性的指向性を刺激してしまったのです。見てしまった乳首は強烈に紀行氏の脳へ性的信号を送りました。発達した大胸筋の盛り上がりによってそれは下を向いていました。自分より大きめで茶色い乳輪はなだらかに膨らんで楕円形、乳輪腺が白くプツプツ点在し、しかも先端は大きく膨らんでいました。紀行氏は重蔵少年を脱がせてそこを力一杯吸いたい衝動にかられました。でも、一方で「自分にそんな性向があるなんて、そんなはずがない、そんなはずが」と言って思わず目をそらせました。

 それ以来、紀行氏は重蔵を素直に見ることができなくなっていました。彼と一緒にいると頭がおかしくなるくらい変な気分になりました。特に車で彼と移動する時は手をスルスルと股に滑らせて大腿筋の膨らみを確かめ、自分より大きいイチモツをギュッと握ってみたくなるのでした。このような感覚が自分に目覚めてしまったことに美子はどう思うだろう。申し訳ない気持ちがもたげる一方で逆にそれ以上に重蔵を感じてしまって、その度に下着を汚し冷たい感触を得るのでした。

 そんなことがあってから、なぜか紀行氏は美子さんの夜の相手をしてくれなくなりました。してくれないというより成立しませんでした。美子さんは紀行氏へ一生懸命献身しました。美子さんは悲鳴にも近い声でお願いと言い咥えました。でもだめでした。紀行氏も申し訳ないと言いました。ただ、申し訳ない気持ちは伝えましたが、重蔵に対する自分の気持ちは言わない、いや、言えませんでした。

 一線を超えてしまったのは美子さんの方でした。美子さんは紀行氏が言わなくとも夜の営みがなくなった原因は重蔵であることはわかっていました。だから自分たち夫婦の関係を壊した犯人をどうやって懲らしめてやろうか、思い巡らせていたのでした。

 美子さんは昼間みんなが出払い重蔵が一人だけになる時間帯をずっと待ちました。そしてその時がやってきました。女性を知らぬ未成年の男子がついフラフラとなびいてしまうには美子さんは十分すぎる魅力がありました。しかも自分は男性の味なら十二分に知っていてどうすれば男が喜ぶかも知っている。美子さんの魔法に重蔵少年は導かれました。今日は誰も使わないことを知っているので車庫は格好の場所でした。重蔵少年は車庫と車の鍵を持って美子さんの導かれるままに付いて行きました。

 美子さんは紀行氏が重蔵少年に魅かれる要素を一つ一つ確認していきました。端正な眼差し、キリッとした眉、姫のような睫毛にスッと伸びた鼻筋、それに口角の上がった口元。逞しく発達した太い腕には血管がうっすら浮かんでいました。

 まず美子さんは自分の誇れる唇を少年に重ねました。少年の唇は震え固く閉ざされていましたが舌でこじ開けるとすぐに柔らかくなり彼も絡めてきました。いつまでもぎこちない姿勢でいるので、こういう時はこうやってこういうふうに女を抱くのよと教えてあげました。既に紅潮している少年は息遣いまでが荒くなってきました。

 でも次にどうすれば良いかわからないでいるから、ふっくり盛り上がっている乳首を指で湿らせ触ってやりました。すると少年は「奥さん」と言いました。みぞおち、へそへと指を滑らせ「ベルトを取って」と言うと少年は弾かれるようにベルトを外してチャックを下ろしました。美子さんはどうしようもなくなっている彼をパンツの上から力一杯握ってやりました。握るたびに反り返してくるのでパンツの中に手を入れました。少年は「奥さん」とまた言いました。

 美子さんだって夫と途絶えていたから鬱憤がたまっていました。パンツを下げ左の人差し指で先端を押し下げパチンと弾くと、ビューンとバネのように跳ね返りピチャッと音を立てました。何回か繰り返すうちに透明な液がドンドン出てきてへそと先端の間で糸を引き始めました。美子さんは今度は右手で乱暴に握りました。その瞬間彼はハッとしてそれでも棒立ちのまま耐えていました。

 これ以上もてあそぶと終わってしまいそうなので、フリルのスカートをめくってやりました。少年は焦って何度も間違えました。ようやくヌルッとして、熱くてとっても硬くて大きくて、太くて、すごく反っていたので、美子さんの一番いい所を先端が触りました。美子さんは少しだけ声を上げました。

 その声を合図に少年はすぐ終わりました。少年は「奥さん、俺」と言いました。美子さんは人差し指で少年の口に封をしました。勝った。私は夫に勝ったのだ。これで重蔵と夫は一線を超えないし夫が求めても重蔵は拒絶するに違いない。美子さんは少年にトドメの一言を言いました。
「あなた、今、何したか、わかってるでしょうね」

 ある日、重蔵が神妙な顔で辞表を持ってきたので、紀行氏はその日の晩、彼をレストランへ連れ出しました。紀行氏は自分の重蔵に対する気持ちに気づかれてしまったかと焦りましたが、逆に重蔵は目に涙を浮かべ、
「僕は社長を裏切りました」と言いました。
「一体急にどうしたんだ。怒らないから話しなさい」と聞くと、やっと美子さんとの情事を白状しました。美子に子どもができたと彼は言いました。紀行氏は頭が真っ白になりました。冷静さを取り戻すのに少々の時間を必要としました。でも紀行氏は重蔵を責めませんでした。少年はなぜ自分を責めないのか聞いてきました。ここまできたらしようがない。彼は理由を簡潔に言いました。それを聞いて重蔵は呆然としました。紀行氏はこう付け足しました。
「私は美子を追放する。子どもも認知しない。お前も認知するな。そしてこの私の養子になれ」

 このあと、美子さんは身籠ったまま実家のある北海道へ帰っていきました。そして重蔵氏は毎晩残業をしました。紀行氏の言われるがままでした。そんな折、重蔵の両親が相次いで亡くなると、紀行氏は重蔵氏が相続した土地の活用方法を指南し当座の経済的な問題を全て援助してくれました。

 重蔵のほうも、残業が嫌だったのは最初の数ヶ月だけで一年経ち二年経っていくと次第に不思議なくらい今の自分が幸せだと感じるようになっていきました。紀行氏は邪な気持ちで自分を扱っているのではないこと、同性愛とはいえ世間に認められない関係であるとはいえ愛されていることに充足感を感じるようになってきました。だから喜んでくれる紀行氏を見ると自分も喜ばしく思いました。唇を吸われるとお酒を飲んだ時みたいに血が上り自分も唇を求めました。これが、紀行氏の重蔵に対する過剰なまでの援助の真実だったのです。しかし、この先に重蔵にとって試練がやってきます。

 ある晩、紀行氏はいつになく酔っていて興奮していました。だからそんな紀行氏をもっと喜ばせたいと思って、今晩は自分が上になってみました。一生懸命振りました。自分の汗が紀行氏の腹にポタポタ落ちました。体全体に電気が走り、もっともっと振りました。紀行氏の眼が次第に上目遣いになってきました。これ以上できないくらい振ると、「ヒィ~」と言って紀行氏が引きつりました。そしてビクビクッと全身を痙攣させてきました。一緒に果てたいので自分も固く握って一生懸命しました。いきそうになったので紀行氏を見ると、紀行氏の口から泡が出てきました。全身がブルブル震え出しました。「お義父さん?」と聞いてみました。目は相変わらず上の方をひん向いて、指も痙攣し始めました。そのうち首がうなだれ、口から泡とよだれがこぼれました。眼をひんむいてそれっきり動かなくなりました。重蔵はどうして良いかわからず義父の顔を引っ叩き起こそうとしましたが動きません。途方にくれてしばらく気を失いましたが、紀行氏の下半身から漂う臭い匂いで目が覚め、慌てて警察を呼びました。

 紀行氏が亡くなると、養子であることから重蔵氏は正式に朝日奈不動産を引き継ぎました。そして片っ端から、紀行氏が生前アドバイスしてくれたやり方で、逗子市一帯を首都圏のベッドタウンに変えていきました。これを事業のセオリーにして東京へ進出し開発に揺れる関東一円において大成功を収め、重蔵氏は一代で不動産王の名をつかみ取りました。そして四十歳で結婚し、東京都渋谷区初台に、地元の人から初台御殿と呼ばれる、敷地一千坪はあろうかという大邸宅を建てます。

 事業で大成功を収めた重蔵氏ではありますが、心の中にひとつだけ、墨を落としたようにどす黒く、ふと頭をよぎって心を深く沈ませる、小さいけれど非常に重いひっかかりがありました。美子さんのその後でした。ある意味、美子さんは重蔵氏にとっては厄介な存在でした。自分の過去を知っている人物が北海道のどこかにいる。自分はマスコミにも取り上げられるようになり名前も顔も知れ渡っている。だから、いつ何時、彼女が自分の目の前に現れるやもしれぬ。彼は息子の静馬氏に美子さんの消息を調査し報告するよう指示を出しました。ただし興信所などを使ってはならぬ。これは誰にも知られてはならぬのだ。この世から抹殺せねばならぬのだ。時間がかかりましたが次のような報告がありました。
 彼女は帰郷後、国鉄N線Y駅前の小料理屋「歌乃処(かのじょ)」で働いた。身寄りのものとは絶縁状態。その理由は詳細不明だが男と思われる。その後、国鉄民営化で名寄線が廃線となり街もすたれ歌乃処も店を閉じた。その後転々とし、男性と関係を持つものの、関係が終わると街を去った。現在は帯広市内に在住し七十八歳で生活保護。自力で経済活動ができず民生の管理下にある。
 重蔵氏はこれらの報告をじっと聞き、最後に「子どもは?」と聞きました。
「帰郷後すぐに堕ろしています」と静馬氏が報告すると、しばらく途方を見つめ、両手で顔を拭い髪をかきあげ、
「嫌なことを頼んで済まなかったね」と言ったそうです。

 晩年、重蔵氏は心臓の具合が芳しくなくなり、体の不調を訴える頻度が高まってきました。自然と、飲み食いに出かけるご様子も無くなり始めました。とうとう、静馬氏へ社長の椅子を譲られますが、会長職として残り、お亡くなりになるまで、事実上の意思決定権と財産管理を静馬氏に託すことはしませんでした。

 何故なのか。

 噂では、自分以外に知れては困る地所があり、そこに女性を住まわせていたとかいないとか。そして、いよいよ自身に死期が遠くないことを悟って一番可愛がっていたお妾さんを逗子に転居させ、彼女には終生生活には困らせないように取り計らったようです。妻の正子さんに、その辺りのことが分からない訳はなく、「私が黙っていることで家の人たちが平穏であれば一切黙っていましょう」と周囲の人には漏らしていたようです。正子さんはもともと病弱で一日寝て過ごす日もあるくらいでしたので、正子さんとしてはそんな自分が重蔵を満足させられる自信がないとみて、重蔵氏の女性関係には穏便にしたかったのかもしれません。しかし、正子さんを責められはしませんが、この正子さんの判断があとになって大きな影を残すのでした。